ギフテッドという言葉は意味があるのか

先日は、こども発達支援研究さんの「ギフテッド児への支援を発達障害より考える」という講演を視聴しました。とても分かりやすく、最近の流れがよく理解できました。

早速、文部科学省のHPで調べて見ました。

5.児童生徒の発達の支援:文部科学省 (mext.go.jp)

これまでは、米国で、ギフテッド教育というと、学業やスポーツなどで特異な才能を認める子への英才教育という意味合いが強かったのですが、最近では、特異な才能と学習困難とを併せ持つ児童生徒 (2E;Twice-Exceptionalと言われている)に対する教育も含めて考える方向に変化しているようです。2Eとは、例えば、単純な課題は苦手だが複雑で高度な活動が得意な児童生徒や、対人関係は上手ではないが想像力が豊かな児童生徒、読み書きに困難を抱えているが芸術的な表現が得意な児童生徒などが想定されております。文部科学省で取り上げられてきたのもごく最近ではないでしょうか。学校内外においてこのような生徒の能力を育てていくかということが議論されているようです。

 

そもそもギフテッドという言葉を教育現場に持ち込むことに意味があるのだろうか。なんでもアメリカの真似をすりゃぁいいってもんじゃない。全ての子ども達が光輝く部分を持っており、そこを皆で認め、お互いを尊重し合う、そんな学級作りを進めていきましょう、でいいのではないでしょうか。勉強や運動が得意でなくたって、例えば、教室の掃除を頑張っている子や飼育係で動物を世話してくれている子はそこは輝いている部分であり、そのお子様の強みと思います。そもそも、2Eのお子様は、特異なところを伸ばせば全てが解決するわけではないと思います。もちろん特異なところを伸ばせば他の部分にも良い影響があるというのは理解できます。しかし、彼(彼女)達が最も困っているのは対人関係や多動・衝動性など個々の発達特性です。そこへの支援が最も重要なのではないでしょうか?

 

また、ギフテッドという言葉により混乱を招く気がします。以前に別の場所で、小学生のお子様でADHDの治療薬を服用している方を拝見したことがあります。私が「ADHDで通院しているんですね」と確認したら、保護者の方より、「違います。この子はギフテッドなんです」と怒られたことがあります。診察児の様子を見ると、どうみてもADHD症状での困り感が強くみえたのですが・・・。この言葉により、保護者のお子様の発達特性への理解や受け入れが阻害されないか心配になります。

 

私もギフテッドについてまだまだ理解しきれておらず、的外れな意見であったらすみません。最近の概念なので、どのように教育現場では進んでいくのか、注目をしていきたいと思います。

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